ハワイ州マウイ島ラハイナの町並み 


町並み
アラスカから6000km。ザトウクジラが繁殖のために楽園のハワイにやってくる。
クジラの脂を求めてアメリカの捕鯨船がやってきたのは、1819年のことだった。以来ペンシルバニアで石油が出るまで、ラハイナには年間400隻を超える捕鯨船が群がり、ラハイナは繁栄を極めた。クジラが不要になったアメリカは、次に砂糖キビに群がり、土地は買い占められ、鉄道が敷かれたが、首都はホノルルに代わり、ラハイナは衰退してしまった。1898年にハワイはアメリカ合衆国に併合された。
1758年 ハワイ島でカメハメハ大王(一世)が生まれ、ハワイ島を統一し、1794年までにラナイ島、マウイ島、モロカイ島を征圧した。1795年オワフ島を征圧し、首都をマウイ島ラハイナに置いた。そして1819年カメハメハ一世が死去した頃から捕鯨が始まった。
カメハメハ三世の1845年に首都をラハイナからホノルルに移した。又その頃が捕鯨の最盛期でラハイナに年間429隻の捕鯨船が訪れている。
1859年ペンシルバニアで石油採掘が開始され、油の供給形態が代わり、ラハイナの捕鯨業は急速に衰退していった。
しかし、捕鯨業に取って代わったのが、捕鯨業と同時期から始まった砂糖キビの精糖業で、この頃(1860)から大きく精糖業が台頭し、ラハイナでパイオニア・ミルが創業しだした。
1876年アメリカとハワイが互恵条約を締結し、砂糖関税を廃止、またハワイアン・コマーシャル・カンパニーを設立したため、砂糖キビ栽培が飛躍的な成長を遂げた。ワイルクからカフルイ港の間に鉄道が敷かれ、砂糖キビの運搬を開始した。
1882年には、ラハイナのパイオニア・ミルに砂糖キビ列車が導入されている。
1898年にはアメリカ合衆国に併合され、1959年にはハワイが合衆国50番目の州となった。このマウイ島には過去多くの労働者移民が入っている。主なもだけでも、1852年の中国人293人から始まり、1880年ドイツ人労働者、1881年ノルウェー人・スウェーデン人、1895年日本人、1899年イタリア人、1900年沖縄、1903年韓国人、1907年スペイン人、1909年ロシア人・フィリッピン人などがマウイ島に労働者として入っている。
今多くの観光客を乗せてガタゴトと走る砂糖キビ列車は、1970年に観光用として営業を開始したものであり、1976年にはマウイ島への観光客は年に100万人を突破した。
ラハイナの町並みはバニヤンの大樹の北側のフロント通り約800メートルに展開されている。
道路の片側は海に面し、片側に木造平屋またはテラス付きの2階建ての町並みが続く。この地も北のカアナパリの近代的な観光地と共に賑わう観光地だが、大きなビルなどは一切なく、全く100年前の佇まいのままである。
聞く所によると、町並を構成する家屋の改造や改築は禁止されていて、例え火災にあっても、以前と全く同じものを建てねばならないそうである。ラハイナ復元保存財団があって保存に努力されているそうだ。
町並み指数  70
参考文献
   個人旅行ハワイ  昭文社  K&BパブリッシャーズK&Publishers   2000年
   http://www.maui.net/~micrin/history.html
   http://plaza11.mbn.or.jp/~morinba/his.htm
   http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/akari/backnumber/00/0628.html


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左側は映画のセットのようなホテル
1901年建築のパイオニア・イン
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